木台に刃を埋め込んだ「曲鉋- くせがんな」を用いた微細なろくろ細工を得意とします。豆玩具などを製作して66年、豆茶器を製造できる小田原唯一の職人です。
七味メーカーがコンピューター制御の機械生産に切り替えた際、斎藤の手作りの方が精度が良いと依頼が戻ってきたほど。
膨大な曲鉋の刃物と経験を背景に、80歳を超えてなお精緻な世界で新たな境地に臨みます。
小田原市成田 斎藤木工所
斎藤 久夫
木工職人として66年のキャリアを持つ斎藤さんは現在83歳、その大きく張りがある声からみなぎるパワーが伝わってきます。 ろくろ細工を得意とし、現在では小田原で豆茶器を製造できるただ一人の職人です。その高い精度はコンピューター制御のマシンでも代われなかったという技術の持ち主です。 全盛期は日中に加えて、あさ5時から夜寝るまで、食事の時間以外は仕事に没頭した仕事人間。斎藤さんの場合はろくろ人間と言って差し支えないでしょう。
斎藤さんがろくろと一緒に操る曲鉋(くせがんな)は、木の台に刃を埋め込んだ道具で、制作物に合わせて一つ一つ自作しなければならない特殊なものです。その曲鉋を作るための道具も自分で作らなければならないと聞けば、豆茶器が斎藤さんにしか作れないのも納得せざる得ません。工房にはこれまでに作ったたくさんの曲鉋が並び、注文が入る度に取り出してろくろに取り付け制作を始めます。
夢に出てくるまで悩む。必要とあれば道具もその度に自分で作る。体に仕事が染み付いて離れないのだそうです。
「仕事している時が一番楽しい」
「仕事バカでいれれば良い」
「座りながら死にたいよ」
斎藤さんの言葉は端的で強めながらも全ての語尾に(笑)がつく穏やかさを持っています。
小田原のレジェンドと称され近づきがたいと言われますが、当の本人は目の前にある好きな仕事にのめり込んでいたら、いつのまにかそう呼ばれてたという風情で、まるで「仕事ってそういうものでしょ?みんなも同じだよね?」というトーンで発せられます。自分を特別と思っていません。
当たり前を当たり前にコツコツと積み重ねる。それは匠となり得る人だけが持つ才能なのかもしれません。
中学卒業後に小田原で修行を始めて一通りのことができるようになった頃は、作れば売れる時代で毎日追い立てられるように仕事したと言います。共同で工場を借りた仲間たちと切磋琢磨し、デザイナーと一緒に作ったこけしで賞を獲るなどの成果も出しました。次第に問屋からも一目置かれることとなり、イベント出展など活躍の場を広げます。その頃、技術力でものづくりを続けていれば認めてくれる人が必ず現れると確信したと話します。
曲鉋を使い初めてから25年(要確認)後、40歳になり斎藤さんは独立しました。それ以来ずっと同じ工房で制作を続けています。幹線道路沿いの小ぶりな工房に匠が座っているのを知る人は少ないでしょう。
小田原で豆茶器を作る職人も減っていく中で、得意なことじゃなければ生き残れないという思いが後押しし豆茶器を専門にします。職人は問屋から「売れるものをつくれ」と言われるがままに作り、自分の作ったものがどこで売っているかも知らなかった時代が長く続きましたが、次第に斎藤さんの曲鉋が注目され、はるばる京都から会いに来る人まで現れるようになりました。多くの木工職人のうちの1人から指名される唯一の職人となったのです。
「ただ自分の仕事をしてるだけ。分かる人が分かればいい」 斎藤さんはそっけなく言いますが、その仕事をしっかり見ていた手神メンバーの乾さんの紹介で手神へ参加することになりました。
手神については一言「これまでと違う生き方ができている。手神のメンバーとは10年前に知り合いたかったね」と笑う斎藤さん。当初は「このグループでできるのかな?」という不安もあったそうです。
それまで小田原の木工界隈は職人同士の横のつながりが弱く、上手な分業がありませんでした。そこに老若男女、さらに専門も違う職人が集まるとあっては心配して当然でしょう。
しかし、蓋を開けてみると手神のムードメーカーとなっているのは斎藤さんで、技術力でリスペクトを集め、その人柄と合わせて分業はスムーズに進みました。
豆茶器と豆けん玉は小林じゅんのさんの寄木を使って斎藤さんが仕上げています。その協業を夢みたいな話と言いますが、「仲間うちから作品が(世に)出ていくのは面白いね」と楽しむ様子からは今後も手神メンバー同士で得意とする分野の協業が広がるのでしょう。
ご自身は技術や作品を「たいしたものじゃない」と冗談を交えながら謙遜しますが、プロデューサーの池谷さんをはじめ手神のメンバー全員が日本の宝である神の手の持ち主だということを分かっています。
次の作品の話をすると長年人生を共にした木工ろくろを前に「座りながら死にたいね」と冗談ではぐらかしながらも雛人形を作りたいと言う斎藤さん。その創作の火はまだ消えそうにありません。これからも手神の仲間に囲まれながら、いつまでもその神の手を動かして作り続けていただきたいと思います。